ushibutatorism

がんばって言語化するぞ(カテゴリごちゃ混ぜです)

祖父のバランス論を自分なりに再解釈する

母方の祖父から教えられたことの一つに『バランスを取りなさい』というのがある。

例えば、

  • 「土の上に生る野菜と、土の下に生る野菜を両方食べろ」
  • 「海のものと山のものを両方食べろ」

食べ物の例えばかりだった(私が幼かったからそういう例えを選んだのかもしれない)のだが、「何事においてもどちらかに偏るのはよくない、両方のバランスを取るようにすると自然とうまく行くように"できている"」というのが祖父のバランス論だったように思う。


最近それなりに私も歳をとってきたので、改めて解釈し、自分なりの言葉にしてみようと思った。これはそういう記事。

「線」を引こう

まず、この世界のあっちとこっちを分ける「線」を引こう。

上記の例を見てもらえば分かる通り、その線の決め方はまったく主観的でよい。
科学的根拠や医学的な見解などはまったく必要ではない。科学的でも非科学的でもよいし、もはやただの言葉遊びでさえあってもよい。 2つに分けるのが難しければ3つに分けてもいい。

他人に説明してご納得いただく必要はないし、指摘を受けたからといって訂正する必要もない。議論も不要だ。
自分だけで勝手に決めて、自分だけが納得していればよい。

「両方」のバランスを取ろう

世界に自分だけの線をひいて、しかし片方に偏ってはならない。その偏りは様々な争いと災いの種になる。

世界をあっちとこっちに分けた後は、その「両方」をよく見て、学び、触れよう。
もしかするとほんの少しどちらかに偏るほうが心地よいかもしれないけれども、もう一方を完全に排除しよう・否定しようとしてはならない。

世界をあっちとこっちに分けた理由は、敵と味方を作って争うためではなく、世界の真ん中でバランスを取り健やかに歩むためであるからだ。

まとめ

祖父のバランス論は、何かと何かを両方バランスよく行うという意識であり、ただの抽象的なフレームワークに過ぎない。

世界の境界線は自分で決めてよい。
ただし、その境界線の両方のバランスを取らなくてはならない。

  • 「勉強と運動を両方同じぐらい頑張る」
  • 「国語と算数を両方同じぐらい頑張る」
  • 「室内で過ごしたら屋外でも遊ぶ」
  • 「1時間ゲームしたあとは、1時間読書する」
  • 「会社の人とお客さん、どちらとも同じ回数、食事に行く」
  • 「先輩と後輩、どちらの意見にも耳を傾ける」
  • 「カバンは右肩と左肩で交互に持つ」
  • 「肉を食べたら野菜も食べる」
  • 「パンと米を日替わりで食べる」
  • 「牛、豚、鶏をバランスよく食べる」

(……すぐ食べ物の例え話ばかりになってしまう)

「バランスを取れ」というのは「世界をよく見て、自分の中に基準を持て」ということなのかな、と思った。