他人の痛みは分からない
相手の痛みを自分の感覚で決めつける話
辛いものを食べた話をすると、よくこんな返しをしてくる人がいますよね。
「何だ、あんなの全然辛くないよ。むしろ甘い方だよ。」
「俺のほうがもっと辛いものを食べたことがあるぜ。昔、○○に行った時に……。」
うるせぇー、今問題にしてるのは『俺が辛いと感じた』であって『お前が辛いと感じるかどうか』じゃねぇんだよ一生ハバネロかじってろ! ってやつです。
ああいう自分語りになってしまうのは、自身の感覚を基準にして相手の痛みを決めつけてかかるからだと思います。
他人の痛みは自分基準の想像でしかない
例えばAさんが足の骨を折ったとしても、Bさんは痛みを感じません。 他者と痛覚は共有できないので、他人の痛みを知る方法はありません(多分)。
あるのは「うわぁ、痛そうだなぁ」という想像だけで、しかもその想像は、自身の過去の経験からの想像や、自身の痛みの感覚に依ります。
そもそも、同じ刺激に対しても痛みを感じる基準が違うのだから、「痛みを想像する」となると全く違うものになります。辛いのが苦手なAさんと、辛いのが好きなBさんがそれぞれ「辛い食べ物」を想像しても全く辛さが違うように。
Aさんが「辛すぎる」と苦しみながら何かを食べていても、 辛党のBさんがそれを食べても辛く感じないでしょうし、「なるほど、辛いものを食べたのか。それはつらかっただろうな」と思ったとしても、Bさんが想像している辛さはAさんが味わった辛さではありません。
どこまで行っても、結局「Bさんが自分の想像で決めつけた辛さ」でしかありません。
何が言いたいかっていうと
相手の痛みは自分には分かりようがない、という前提に立ち、
自分の感覚で相手の痛みを決めつけようとせず、
相手の話をちゃんと聞く、
っていうのがコミュニケーションには大事なんじゃないかなぁ、と思いました。